煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク8 八王子編8
前回ご紹介した八王子市内の小学校に残るフランス積みの煉瓦塀を見学すると、甲州街道を高尾へと向かった。
当初の予定では、さらにここから数箇所回る予定であったが、今まで巡ってきたところで時間をかけすぎたため予定を変更して、甲州街道に面した長安寺に立ち寄った後、高尾駅へと向かうこととなった。
長安寺には、知る人ぞ知る遺構が残っている。昭和4年に武蔵野中央電気鉄道が、追分⇔淺川駅(現高尾駅)に路面電車を開通させると、翌年には東八王子駅(現京王八王子駅)から高尾橋駅(京王線高尾山口駅近く)まで延長して営業運転をしていたが、営業成績は芳しくなく、わずか10年ほどで全線廃止となった。
その後第二次世界大戦が始まると、金属を供出するために軌道が外された。現在路面電車が走っていた頃の数少ない遺構が、ここ長安寺に残っている。
お分かりだろうか?参道の敷石にご注目いただきたい。
そう、この参道の敷石は、路面電車の軌道敷きに使われていたもので、ところどころに線路があたる部分に切り欠きが残っている。
さて、高尾駅に着くと大きな天狗が出迎えてくれる。
高尾駅には、煉瓦とは関係ないもののやはりこれだけは外せない。
高尾駅のホームの柱には、非常に古いレールが使われているが、第二次世界大戦当時の機銃掃射の痕が残る柱が二本保存(現在も柱として使用)されている。
さらにこちらのレールにご注目。
『No 60 B』と入った上には、『1902』という文字が入っている。
No 60 Bの下に目をやるとこんなマークが確認できる。
裏側には、このようなマークも記されている。
丸いマークは、日本初の製鉄所である官営八幡製鉄所のもの、『エ』は工部省から続く鉄道のシンボルマークであることから、同製鉄所で1902年に製造されて、当時逓信省外局の鉄道作業局に納入された物であることがわかる。
suzuran6さんのコメントにあるとおり、機銃の弾痕と、古いレールの刻印の部分は、塗装が剥がされていて、1902年のレールにはクリヤラッカーのような透明の樹脂が塗られています。
[追記ここまで]
高尾駅は、1901年(明治34年)に開業した歴史ある駅で、開業当時のホームが現在のホームの土台となっている。
一番北側にある1番腺、2番線ホームは、残念ながら側面を漆喰で固められているために、煉瓦作りの開業当初の煉瓦積みは見られない。
3番線側も同じく漆喰で固められているが、同じホームの4番線側には煉瓦積みの側面が見られる。
だいぶ汚れてしまっているが、汚れを落とせば、見事な煉瓦色が現れることだろう。この後中央線に乗って八王子駅へと移動すると、八王子駅にも開業当初のホームが顔をのぞかせている。
次の写真は、以前にもご紹介した新橋駅の開業当時の煉瓦造りのホームだ。
いずれもイギリス積みで、雰囲気はとてもよく似ている。
8回にわたって八王子でのフィールドワークの様子をお伝えしてきたが、いよいよ次回は東京の東・・・台東区、荒川区へと、フィールドワークの舞台を変える。