2013-06-19

煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク11 上野・荒川編4 上野から荒川への移動

東京藝術大学1号館、2号館を見学させていただいた後は、過去の取り壊した建物の煉瓦の集積所に案内されて調査した。

一部は芸大だけではなく東大で取り壊された建物の煉瓦も集積されている。一つ一つ手に取り、刻印の有無と、刻印の形を確認する作業にしばし熱中した。
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上の写真には、☆に漢数字の『二』が入っているのがお分かりだろう。
漢数字は、数種類が存在したが、この☆の刻印がどこの工場で生産されたものか、判明していない。土にまみれたこんなものもあった。
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許可をいただいて水道水で洗ってみると・・・・
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鮮やかな濃い煉瓦色が浮かび上がってくる。常滑で焼かれた煉瓦のようだ。しっかり焼き閉められていて耐水性があり、水周りで使われた煉瓦と推定される。

非常に名残惜しかったが、次の予定地荒川区へと向かうため、谷中霊園の中を通って鶯谷へと向かった。途中こんなものを見つけると、ついつい足が止まってしまう。
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吉田屋酒店は、1910年(明治43年)に建てられ、その後昭和に入り改築され、1987年(昭和62年)に現在地に移築復元された。明治期の商家の造りがよくわかる貴重な建物だ。
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天王寺跡には、往事の写真が掲出されていた。
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以下の2枚は、現地に掲出されている写真である。
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最初の五重塔は、1644年(寛永21年)に建立されるが、1772年(安永元年)に大火で失われる。

その後1791年(寛政3年)に再建された五重塔は関東大震災に耐え、第二次世界大戦の空襲にも焼け残ったが、1957年(昭和32年)7月2日に放火により消失した。
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現在は礎石が残っているのみである。鶯谷からは、京成電車に乗って移動する。
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町谷で都電に乗り換えると、しばし撮り鉄三昧!!
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都電に乗って着いた先は・・・
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さて、ここでどんな煉瓦の構築物と出会うのか!?

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