2014-01-03

煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク15 上野・荒川編8 千住製絨所 

佐藤病院を後にすると都電で三ノ輪まで移動し、常磐線開通当時の第一三ノ輪架道橋と、第二三ノ輪架道橋を確認した後、千住製絨所跡へと向かった。

千住製絨所は、1879年(明治12年)に創業を開始した軍服用絨(毛織物)の官営工場で、ラシャ場とも呼ばれ、殖産興業、富国強兵政策の一翼を担った。

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(荒川区教育委員会の設置した標識に掲出された写真)

その敷地は、北は隅田川から南は千住間道まで107,000㎡にものぼる広大な敷地を有し、工業の町南千住の中核を成した。

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写真国土変遷(国土変遷アーカイブUSA-M377-128 1947年7月24日)

官営工場は、内務省、農商務省、陸軍省と所管が代わり、戦後大和毛織株式会社に払い下げられたが、1961年(昭和36年)に工場は閉鎖され、80年余りの幕を閉じた。

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(荒川区教育委員会の設置した標識に掲出された写真)

1962年(昭和37年)には、敷地の一部が『東京スタジアム(東京球場)』として開場し、大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)のホーム球場となった。

1977年(昭和52年)に閉鎖されると、現在は荒川総合スポーツセンターとなっている。
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千住製絨所を語るものとしては、正門付近の煉瓦塀が荒川区の近代化遺産の文化財として保存されているのみである。(上記航空写真の黄色い線の部分)
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煉瓦塀は、綺麗なイギリス積みで積まれていて、関東大震災にも耐えて現在に至っている。
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