2015-04-17

山口市に残る煉瓦構築物1

山口に出張したある日、任務が予定より早く終了すると、ホテルの部屋に戻って制服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。

疲れを洗い流すと、まだ時間は2時半。せっかく空いた時間は有効に使おうと、持参したPCをネットに接続し、情報の収集を始めた。するとホテルから2km弱のところに『小郡文化資料館』を発見。

まずここに行けば、何かしら煉瓦の情報が手に入れられると思い、Nikon 1を手にするとホテルの部屋を飛び出した(本日の写真は、すべてNikon1 V2での撮影です)。

JR山口線で一駅の『下郷駅』まで行くと、一路文化資料館へと向かった。その途中で見つけた一部煉瓦造りの建物が次の写真である。

24山口市下郷藤本金物店
山口市下郷 木造一部煉瓦造の建物

小口と長手の列が一列ごとに積まれていて、角の処理に七五分の煉瓦を使用していることから、所謂オランダ積みである。

最初から非常に期待させる煉瓦建物の発見に心躍らせながら文化資料館に行くと、早速展示内容を観覧させていただいた。

18小郡文化資料館
小郡文化資料館

二階建ての建物はこじんまりと纏まっていて、展示スペースをぐるっと一周すると、最後に『山口市に残る鉄道施設』と題したパネルが二枚あった。

一枚は山陽本線に残るカルバート(水路トンネル)と橋台、そしてアーチの部分のみ煉瓦造りで他の部分が石造りの清水橋梁を紹介している。

もう一枚は、山口線の木戸山トンネル、篠目駅給水塔、徳佐川橋梁、第一阿武隈川橋梁を紹介していた。パネルの説明には具体的な場所は書き記されていないが、スマホで地図を確認すると、山口線の方は離れていて時間がかかりそうだ。

山陽本線の方は場所が特定できないが、山口市内の山陽本線で『橋台』・・・川を超えるとすれば、大きな川は椹野川しかない。しかも文化資料館から歩いていける距離。時計を見ると16時近くになっていて十分な時間もなく、迷わず椹野川に向かうことにした。しばらく歩くと、何やら隧道が見えてきた。

19カルバート1
山陽本線カルバート1

単なるコンクリート造の隧道のようにも見えたが、水路と歩道が一緒になっていて、頭の中で警告灯が点灯し始めた。近づいていくとビンゴ!!

20カルバート2
山陽本線カルバート2

これが文化資料館で紹介されていたカルバートである。
前後はコンクリートで補強、あるいは継ぎ足されているため、外からは判り辛いが中に入ってみると、そこは間違いなく煉瓦造りのカルバートである。

次の写真はコンクリートで継ぎ足された部分であるが、まるで橋台のようにRがつけられている。コンクリートで継ぎ足される前は、カルバートの入口がどのような造りになっていたのか、興味は尽きない。

通常隧道やカルバートの胸壁と坑道のつながりは90度の角であり、Rはつけないはずである。何回も写真を見ていてふと思いついたのだが、Rの付いている部分は水路であり、水の流れを受け流すためにRがつけられたのだろうか?

だとすると、Rがアーチまで続いていたのかどうかは、コンクリートを剥がしてみるか、施工図面を見なければ判らない。

21カルバート3
山陽本線カルバート3

煉瓦造の部分は複線の幅があることから、1928年(昭和3年)に山陽本線が単線から複線に拡幅された時のものと推定される。

22カルバート4
山陽本線カルバート4

上の写真をご覧いただくとお判りのとおり、非常に雑な積み方となっている。長手積みの部分は縦のラインがランダムに積まれていて、その長さ合わせに細長い煉瓦が使われているように見受けられる。

通常の長手積みは、上下の段で半分重ねていくため、一段おきに縦のラインが揃うのが普通だ。

さらに次の写真をご覧いただくと、垂直部分はイギリス積み、アーチ部分は長手積みとなっているが、なんとイギリス積みから長手積みに変わる高さが、左右で一段ずれている。

23カルバート5
山陽本線カルバート5

カルバート(水路トンネル)として作られたため、見た目は無視して手を抜いて作られたのだろうか?

その後、そのカルバートを利用して一部歩道を増設したのかもしれない。あるいはアーチの形が左右非対称にも見えることから、最初から水路+歩道として設計して作られたのか・・・

図面が残っていれば、ぜひとも見てみたいものである。

このカルバート、実は一度離れて次の煉瓦構築物を探しに行ったのであるが、どうしても残像に違和感が残っていて、再度帰り道に寄っている。二度目に立ち寄った時に、左右非対称に気が付いた。このカルバート、前後二回合わせて30分以上眺めていたであろうか。

地元の人が頻繁に通るため、生活道路の一部なのだろう。隧道の中で煉瓦を飽きずにじっと見ている人間は、さぞかしおかしいもの、あるいは怪しいものに写ったに違いない。

今までの経験から、人が近づいてくると、知らない人でも必ず挨拶をするようにしている。

すると、京都の琵琶湖疎水探訪の時もそうであったように、挨拶から話しが弾み地元情報が手に入るのが常だからである。

何よりも挨拶することにより、「怪しい人」から「面白い人、変わった人」に変わるのである。この日も数人の人と挨拶をし、時候の話しをしたが、残念ながら特段の情報を手に入れることはできなかった。

文化資料館のパネルではもうあと2か所紹介しているが、この後3か所で煉瓦造りの構築物を見ることができた。パネルで紹介されていた清水橋梁は発見できなかったので、紹介されていた以外に2か所の煉瓦構築物があったことになる。

しかしながら、この日見つけた煉瓦構築物を一回でご紹介するのは無理のようなので、この後何を見たのかは次回に譲りたい。

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