稲城市日本陸軍多摩火薬火工廠のランカシャーボイラーと泉佐野市熊取町煉瓦館のランカシャーボイラー
熊取町の熊取交流センター・・・通称「熊取煉瓦館」は、かつての紡績工場跡地をミュージアムとして公開されています。
こんな味のある木造の建物がありましたが・・・もちろん煉瓦、煉瓦、煉瓦!!!!!!!
隅から隅まで望遠レンズで煉瓦の刻印探しをしましたがね残念ながら見つからず・・・ここの施設の学芸員の方に「煉瓦の刻印が露出していてみられるところはありませんか?」と伺いましたが、残念ながら「刻印がみられるところはありません。」とのご返事でした。
ただ、「以前発掘した煉瓦の中に『大阪窯業』の刻印を目にしたことがある。」とのお話しをいただきました。
この目で見たかったなぁ・・・ここでもう一つ目を引いたものが、芝生の中庭に展示されていた『ランカシャーボイラー』です。
昭和初期に設置させたというボイラー・・・これとそっくりのものを以前アップさせていただいたことがあり、断然興味が湧いてきました。
子供の顔に見えませんか(^^)/
これは炉筒ボイラーと言います。横倒しにした大きな円筒(水缶)の中に水を満たし、目の部分の炉筒の中で燃焼させることにより、水を温め温水、あるいは蒸気を供給するものです。構造が簡単で整備が楽である反面、熱効率が悪く今では使われていない形式です。
炉筒が1つのものを『コルニッシュボイラー』と言い、上の写真のように炉筒が二つあるものを『ランカシャーボイラー』と呼ばれています。
一般的に熱効率を上げるため、水缶は煉瓦で埋め尽くされているはずですが、残念ながら煉瓦が残っているのは頭とお尻のみとなっています。次の写真は以前アップしたものですが、崩れているとはいえ、煉瓦でおおわれている様子はお判りのことと思います。
煉瓦から掘り出される前の状態であれば、ひょっとすると刻印が確認できたかもしれませんね。以前アップしたランカシャーボイラーは以下のリンクからご覧ください。
これは東京は稲城市にある日本陸軍多摩陸軍火薬製造所にあったボイラーで、ここと同じく昭和初期に築造されたものです。ランカシャーボイラーが二連に連なっていますね!
終戦後は米軍に接収され、現在も返還されていないため、通常立ち入ることはできません。
火薬工場でしたから熱源は水蒸気で、個々の他もう取り壊されてしまいましたが、もう一か所にボイラーが設置され、広大な工場内に水蒸気をめぐらしていました。
この後、煉瓦建築物と隣接する素晴らしい古民家を拝見させていただきました。
【追記 ボイラーについて】
アップした記事を読み返していて、ちょっと気になったことを書き加えたいと思います。
熊取煉瓦館のボイラーと、比較でアップした日本陸軍火工廠多摩火薬製造所のボイラーをアップしましたが、改めて見比べてみると、あまりの類似性に驚きました。
次の写真は、右が熊取煉瓦館の顔、左が多摩火薬製造所の顔です。
他の写真も含めて検証してみると、煉瓦の積んだ段数が4段ほど左の多摩のものの方が多いので、一回り大きいものと思われますが、リベットの打ち方など、多くの共通点があるように見受けられます。
いずれも昭和初期に築造されたことを考えると、泉佐野市と私の住む多摩地域の縁を感じてしまいます。