煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク1 八王子編
フィールドワーク2月24日日曜日は煉瓦研究ネットワークが行うフィールドワークに参加してきました。 煉瓦研究ネットワークというのは、近代産業遺産が現代のわれわれの身近な生活につながる様子を調査研究し、記録に残していこうというものです。 第[…]
2月24日日曜日は煉瓦研究ネットワークが行うフィールドワークに参加してきました。 煉瓦研究ネットワークというのは、近代産業遺産が現代のわれわれの身近な生活につながる様子を調査研究し、記録に残していこうというものです。 第[…]
明治時代、煉瓦と鉄道は切ってもも切れない関係にあった。 鉄道を敷設する際に、煉瓦はなくてはならない資材だったのだ。橋脚になり、トンネルになり、駅舎になりと煉瓦は大活躍している。 甲武鉄道は、1889年(明治22年)4月に[…]
前回の最後にアップした煉瓦造りの建物が、1918年(大正7年)に大阪窯業の煉瓦を使って建てられた塚本家の米蔵だ。 大阪窯業の長沼工場から、焼きすぎた煉瓦を安く譲ってもらい建てられたと伝えられている。 片倉城址に近い国道1[…]
煉瓦作りの米蔵を後にして、次に向かったのは京王線北野駅の北に位置する由井第一小学校だ。 校庭の南側の隅にこのようなレンガ造りの門柱が左右残っている。 1915年(大正4年)に全国各地で大正天皇の即位を祝う御大典記念行事が[…]
前回は甲武鉄道の旧八王子駅に続く遺構の跡をご紹介したが、今日は中央線開通当時の橋梁をご紹介しよう。 1901年(明治34年)に八王子⇔塩尻間が開通したときに、旧八王子駅から現在の八王子駅に線路が付け替えられたといわれてい[…]
前回は、1901年(明治34年)中央線開通当時の第二石曽根橋梁をご紹介した。今回は、そこから程近い京王八王子駅近くの福伝寺にあるものをご紹介しよう。 境内脇の墓所に行くと、中心部にひときわ目立つ煙突のような墓標が異彩を放[…]
1872年(明治5年)4月5日午後3時頃、和田倉門内の兵部省から出火した火災は、丸の内から銀座、築地と燃え広がり、95万㎡を焼き尽くして午後10時過ぎに鎮火した。世に言われる「銀座大火」だ。 政府はお雇い外国人でアイルラ[…]
京王八王子駅近くの福伝寺を後にすると、甲州街道を下り追分町近くの八王子市内のある小学校へと向かった。 この小学校の歴史は古く、ホームページを確認すると1873年(明治6年)までさかのぼる。 現在地に移転してきた1891年[…]
先週の金曜日、葛飾から帰る途中新橋駅のホームを見ると、京浜東北線北行き、山手線内回りホームの煉瓦部分の一部を削り取っていたのが見えたので、写真に収めました。 新橋駅開業当時の煉瓦積みですが、この写真から考えられることは、[…]
前回ご紹介した八王子市内の小学校に残るフランス積みの煉瓦塀を見学すると、甲州街道を高尾へと向かった。 当初の予定では、さらにここから数箇所回る予定であったが、今まで巡ってきたところで時間をかけすぎたため予定を変更して、甲[…]