フランス積みとイギリス積みの橋台が並ぶ怪・・・大阪桜ノ宮淀川橋梁
5月にある方の講演を聞く機会があった。その講演の中で「大阪環状線桜ノ宮駅近くに、フランス積みの橋台跡とイギリス積みの橋台跡が並んで残っているところがある。」というのである。
居てもたってもいられなくなり、7月10日に桜ノ宮駅へと向かった。夕方で暗くなるまで間がないということもあり、事前にGoogle ストリートビューなどでポイントは確認してある。桜ノ宮駅に着くと迷わず橋台跡にたどり着いた。
![1桜ノ宮 淀川橋梁](http://renga.tokyo/wp-content/uploads/2015/09/07e76a65eafdfe7e6cc398879db154a0.jpg)
桜ノ宮 淀川橋梁
上の写真をご覧いただくと、一番奥にあるコンクリート造のものが現在の大阪環状線の線路である。
その手前に煉瓦造の橋台跡が二つ並んでいる。
まず離れたところから俯瞰して観てみると、角石の入れ方など積み方以外のデザインは共通点が多く、煉瓦の表面の状態などからもほぼ同時代に出来たものと思われる。
次の写真が向かって左側の橋台。フランス積みで造られている。
![3桜ノ宮 淀川橋梁 大阪鉄道](http://renga.tokyo/wp-content/uploads/2015/09/749a5eb4e50cfa53b0b00f26f67eec37.jpg)
淀川橋梁 フランス積み橋台
次の写真が向かって右側の橋台だ。こちらはイギリス積みで造られている。
![2桜ノ宮 淀川橋梁 関西鉄道](http://renga.tokyo/wp-content/uploads/2015/09/ba9a3ba52508d68202332c87aece1842.jpg)
淀川橋梁 イギリス積み橋台
これはどうしたことだろうか、単に現場の煉瓦職人が気まぐれで外回りは「フランス積み」、内回りは「イギリス積み」で積んだとは思えない。
ちなみに大阪環状線、山手線などの環状運転している電車に「上り、下り」の概念は無く、「内回り、外回り」と表現する。
フランス積みの鉄道遺構は全国的に散見されるが、特に関西に多い。関東では信越線の碓氷峠に一部見られるという話は聞いていたが、目の前にフランス積みとイギリス積みの橋台が並んでいるものを見て、俄然興味が湧いてきた。
ここでこの大阪環状線の歴史をひも解いてみよう。
最初にここに線路が敷設されたのは、1895年(明治ぬ28年)に当時の大阪鉄道が『城東線』として玉造⇔梅田間を開通させた。一つは、この時に造築されたものだろう。
その後年1900年(明治33年)に大阪鉄道は関西鉄道に吸収され、関西鉄道は1901年(明治34年)に、ここ桜ノ宮から網島までの桜ノ宮線を敷設している。
そして城東線が複線化されたのは、関西鉄道が1907年(明治40年)に国有化した後の1914年(大正3年)であるから、もう一つはその際設けられた橋台と考えられるのではないだろうか。
![4桜ノ宮 淀川橋梁 大阪鉄道](http://renga.tokyo/wp-content/uploads/2015/09/ad55f66e6f0fc8ca52d63687a678cf6a.jpg)
フランス積み2
大阪環状線が環状運転を開始するのは比較的新しく、戦後の高度経済成長期の1961年(昭和36年)まで待たなければならない。
![5桜ノ宮 淀川橋梁 関西鉄道](http://renga.tokyo/wp-content/uploads/2015/09/d03ca9d3fba6cc9aee9f6a6f97081e9f.jpg)
イギリス積み2
それでは、向かって右手が古いのか、あるいは左手が古いのか疑問が残る。この問題を解決する手がかりは、思いもよらず現場に残されていた。
そう、それは『刻印』である。どのような刻印があって、なぜどちらが先にできたのか特定できたくだりは、次回に続く!!