ブログ一覧
2024.02.13 甲府税務署跡地煉瓦塀 1908年(明治41年築)
甲府市中心部の鶴舞城の南側にある旧甲府税務署跡地に残る煉瓦塀の調査に、我々煉瓦研究ネットワーク関東が協力してきました。 その研究成果により歴史的な意義が認められ、当初取り壊し予定だ ...
2023.05.26 川口市田中家住宅他見学
2023(令和5)年4月、川口市郷土史会千葉様より煉瓦に関するお問い合わせがご縁となり、川口市郷土史会様の案内で、市内にある旧田中家住宅、川口市立文化財センター、永瀬孝男家住宅など ...
2021.05.09 高輪築堤 その2 再び日の目を見た鉄路
ここに一枚の蒸気機関車が、海辺を走る絵葉書があります。 ◆絵葉書(写真1) ここに写っている蒸気機関車は6400形です。この蒸気機関車は官設鉄道が輸入した旅客列車用蒸気 ...
2021.05.04 高輪築堤 1 海上を走った蒸気機関車
さて、今回は築堤の現状について見ていきましょう。 高輪築堤は、海岸沿いの埋め立てが進むことによって、長らくその存在が忘れ去られていました。 ところが、高輪ゲートウェイ駅を開設する際 ...
2021.05.02 高輪築堤 序 新橋⇔横浜間鉄道開業
先日JR東、港区さんの許可を頂いて『高輪築堤』を見学をさせて頂きました。 まず最初に高輪築堤について、おさらいしておきましょう。 明治維新前後のアジアは、欧米列強諸国による植民地化 ...
2019.05.27 東京芸術大学正門見学会
芸大で文化財を担当されている水本先生からお声がけを頂き、修復のため解体される芸大正門の見学会を5月27日月曜日に開催しました。 以下、写真の羅列ですが、当日の様子をアップします。今 ...
稲城市日本陸軍多摩火薬火工廠のランカシャーボイラーと泉佐野市熊取町煉瓦館のランカシャーボイラー
熊取町の熊取交流センター・・・通称「熊取煉瓦館」は、かつての紡績工場跡地をミュージアムとして公開されています。 こんな味のある木造の建物がありましたが・・・もちろん煉瓦、煉瓦、煉瓦 ...
東京湾要塞の一翼を担う『厠』の謎
昨年、一昨年と紀淡海峡を守る由良要塞の友が島砲台を訪れた。 特に昨年は友が島に隣接する虎島堡塁を見学させていただいたが、その中で一番興味を引いたのが虎島堡塁入口にあった厠跡である。 ...
東京湾要塞 千代ケ崎砲台3・・・横須賀市
今まで2回にわたって千代ケ崎砲台の様子をアップしてきましたが、今回はいよいよ最終回となります。 棲息掩蔽部を出て一度柵門まで戻ると、左手から(配置図上では上から右側に回り込んで)砲 ...
東京湾要塞 千代ケ崎砲台2・・・横須賀市
千代ケ崎砲台は、戦後いったん民間に払い下げられた後、その一部を国が買い戻して海上自衛隊の通信施設が建設されました。 現在施設は撤去されていますが、防衛施設庁の管理下にあり一般公開は ...
東京湾要塞 千代ケ崎砲台1・・・横須賀市
さて、先日国の史跡指定を受けた千代ケ崎砲台を見学させていただきました。 千代ケ崎砲台は、首都東京を守るために設けられた東京湾要塞の一翼を担うもので、明治時代に日本各地につくられた要 ...
和歌山県友が島の煉瓦構築物(速報)
【追記】以下文中の中で『トーチカ発見』と何も調べず迂闊にも記してしまいましたが、和歌山の研究者の方から、次のご指摘を頂きました。 第一砲台近辺にある鉄蓋の遺構は、トーチカではなく着 ...
大阪府泉佐野市熊取煉瓦館
泉佐野市の熊取町にある煉瓦館、こんな味のある木造の建物が出迎えてくれます。 ここは昭和初期に建設された綿布工場を保存再生したもので、レンガ壁は建設当時のものをそのまま活かして、展示 ...
フランス積みとイギリス積みの橋台が並ぶ怪 3・・・大阪桜ノ宮淀川橋梁
まず向かったのは、旧淀川右岸(桜ノ宮駅から見て天満駅側)の橋台跡である。電車の車窓から橋台跡が残っていることは確認済みだ。 早速近くの橋を渡って対岸へと急ぎつつ川面を見ていくと、一 ...
フランス積みとイギリス積みの橋台が並ぶ怪 2・・・大阪桜ノ宮淀川橋梁
大阪環状線桜ノ宮駅の西側にある淀川橋梁のわきに、古いフランス積みの橋台とイギリス積みの橋台が仲良く並んでいる。 これは旧大阪鉄道が1895年(明治28年)に敷設した城東線と、関西鉄 ...
フランス積みとイギリス積みの橋台が並ぶ怪・・・大阪桜ノ宮淀川橋梁
5月にある方の講演を聞く機会があった。その講演の中で「大阪環状線桜ノ宮駅近くに、フランス積みの橋台跡とイギリス積みの橋台跡が並んで残っているところがある。」というのである。 居ても ...
東京湾要塞1 第三海堡
東京湾要塞は、帝都東京を外敵から守る為に、明治政府の手により築造された。 城ケ島から夏島までの24の沿岸砲台の他、第一海堡から第三海堡まで3つの海堡が建設されているが、煉瓦と要塞は ...
山口市に残る煉瓦構築物1
山口に出張したある日、任務が予定より早く終了すると、ホテルの部屋に戻って制服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。 疲れを洗い流すと、まだ時間は2時半。せっかく空いた時間は有効に使おうと、 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 新永間市外線高架橋3
新永間市街鉄道高架橋 第一区間 第一区間は、新銭座町(現在の浜松町1丁目2番、5番)から幸橋架道橋までの約950mである。 この区間の高架橋は、現在西側から京浜東北線、山手線、東海 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 新永間市外線高架橋2
2.煉瓦構築物の耐震性 新永間市街線高架橋(以下高架橋)を語る上で、関東大震災を外して語ることはできない。 高架橋は1909年(明治42年)9月に東京駅手前の呉服橋仮停車場まで開通 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 新永間市外線高架橋1
2014年12月13日、第7回の煉瓦研究会のフィールドワークが行われた。 この日は、神奈川のメンバーを迎え、総勢20名を超える研究会となった。 新橋駅に集合すると東京駅を経由して、 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 大月~上野原編1
さて八ツ沢発電所関連施設は、1910年(明治43年)に東京電燈(現東京電力)が建設を始め、1914年(大正3年)に竣工した。 この重要文化財に指定された桂川沿いに約14kmに及ぶ関 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク17 上野・荒川編10 常磐線開業当時の架道橋
極楽荘の前を通り過ぎると、すぐに常磐線の高架が見えてくる。 常磐線の営業免許は、東京都荒川区の日暮里駅から、宮城県岩沼市の岩沼駅までの350.4kmの東日本旅客鉄道(JR東日本)の ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク16 上野・荒川編9 道の途中の極楽荘
佐藤病院の煉瓦塀の見学を終えると、近くの小台駅から都電に乗って、終点の三ノ輪橋へと向かう。 商店街を抜けていくと、ここら辺は江戸時代に下野黒羽藩の下屋敷のあった辺りだ。第三十一代藩 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク15 上野・荒川編8 千住製絨所
佐藤病院を後にすると都電で三ノ輪まで移動し、常磐線開通当時の第一三ノ輪架道橋と、第二三ノ輪架道橋を確認した後、千住製絨所跡へと向かった。 千住製絨所は、1879年(明治12年)に創 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク14 上野・荒川編7 佐藤病院
あらかわ遊園を後にすると、一路徒歩で佐藤病院へと向かう。路地を抜けると、突然都電が現れる。 佐藤病院は『登山者検診』でも有名な病院で、1909年(明治42年)7月に佐藤医院が創設さ ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク13 上野・荒川編6 あらかわ遊園
前回、なぜここに煉瓦塀が残っているのか由来を話したが、その煉瓦塀沿いに進んでいく。 煉瓦は、真ん中のコンクリートの帯の下がイギリス積み、上が長手積みであるが、ある一定の間隔で小口が ...
煉瓦研究ネットワーク東京 番外編3 国鉄長野工場の煉瓦
今日はちょっと脱線して、煉瓦造りの建物が解体された際に記念品として保存されたものをご紹介したい。 解体された煉瓦材に、日展審査員(後に日展参与まで務めた)瀬戸団治氏の青銅製のレリー ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク12 上野・荒川編5
都電を荒川遊園地前電停で降りると、バラの咲き乱れる遊歩道をあらかわ遊園の方へと向かう。 思わず立ち止まってバラを鑑賞したくなるような見事さだ。 芳しいバラの香りを楽しみながらしばし ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク11 上野・荒川編4 上野から荒川への移動
東京藝術大学1号館、2号館を見学させていただいた後は、過去の取り壊した建物の煉瓦の集積所に案内されて調査した。 一部は芸大だけではなく東大で取り壊された建物の煉瓦も集積されている。 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク10 上野・荒川編3
前回ご紹介させて頂いた1号館が次の写真である。 この1号館の後ろに立つ3階建ての煉瓦の建物が2号館である。 2号館は1号館に遅れること6年、1886年(明治19年)に東京図書館書籍 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク9 上野・荒川編2
東京藝術大学のキャンパスの真ん中を東西に都道452号が走っている。 1918年(大正7年)にこの都道が作られると、都道に対して南北対象に煉瓦造りの校門が作られた。残念ながら、現在は ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク9 上野・荒川編1
5月27日日曜日、第4回目となる『煉瓦研究ネットワーク東京』のフィールドワークは、13時に上野駅公園口をスタートして、最初の目的地である東京芸術大学へと向かった。 今回は上野をスタ ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク8 八王子編8
前回ご紹介した八王子市内の小学校に残るフランス積みの煉瓦塀を見学すると、甲州街道を高尾へと向かった。 当初の予定では、さらにここから数箇所回る予定であったが、今まで巡ってきたところ ...
煉瓦研究ネットワーク東京 番外編2 新橋駅ホーム
先週の金曜日、葛飾から帰る途中新橋駅のホームを見ると、京浜東北線北行き、山手線内回りホームの煉瓦部分の一部を削り取っていたのが見えたので、写真に収めました。 新橋駅開業当時の煉瓦積 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク7 八王子編7
京王八王子駅近くの福伝寺を後にすると、甲州街道を下り追分町近くの八王子市内のある小学校へと向かった。 この小学校の歴史は古く、ホームページを確認すると1873年(明治6年)までさか ...
煉瓦研究ネットワーク東京 番外編1
1872年(明治5年)4月5日午後3時頃、和田倉門内の兵部省から出火した火災は、丸の内から銀座、築地と燃え広がり、95万㎡を焼き尽くして午後10時過ぎに鎮火した。世に言われる「銀座 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク6 八王子編6
前回は、1901年(明治34年)中央線開通当時の第二石曽根橋梁をご紹介した。今回は、そこから程近い京王八王子駅近くの福伝寺にあるものをご紹介しよう。 境内脇の墓所に行くと、中心部に ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク5 八王子編5 中央線開通当時の橋梁
前回は甲武鉄道の旧八王子駅に続く遺構の跡をご紹介したが、今日は中央線開通当時の橋梁をご紹介しよう。 1901年(明治34年)に八王子⇔塩尻間が開通したときに、旧八王子駅から現在の八 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク4 八王子編4 甲武鉄道遺構
煉瓦作りの米蔵を後にして、次に向かったのは京王線北野駅の北に位置する由井第一小学校だ。 校庭の南側の隅にこのようなレンガ造りの門柱が左右残っている。 1915年(大正4年)に全国各 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク3 八王子編3 塚本家米蔵
前回の最後にアップした煉瓦造りの建物が、1918年(大正7年)に大阪窯業の煉瓦を使って建てられた塚本家の米蔵だ。 大阪窯業の長沼工場から、焼きすぎた煉瓦を安く譲ってもらい建てられた ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク2 八王子編2 長沼煉瓦工場
明治時代、煉瓦と鉄道は切ってもも切れない関係にあった。 鉄道を敷設する際に、煉瓦はなくてはならない資材だったのだ。橋脚になり、トンネルになり、駅舎になりと煉瓦は大活躍している。 甲 ...
煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク1 八王子編
2月24日日曜日は煉瓦研究ネットワークが行うフィールドワークに参加してきました。 煉瓦研究ネットワークというのは、近代産業遺産が現代のわれわれの身近な生活につながる様子を調査研究し ...