煉瓦研究ネットワーク東京 新永間市外線高架橋1
フィールドワーク2014年12月13日、第7回の煉瓦研究会のフィールドワークが行われた。 この日は、神奈川のメンバーを迎え、総勢20名を超える研究会となった。 新橋駅に集合すると東京駅を経由して、御茶ノ水の紅梅河岸までの市街線高架橋を観[…]
2014年12月13日、第7回の煉瓦研究会のフィールドワークが行われた。 この日は、神奈川のメンバーを迎え、総勢20名を超える研究会となった。 新橋駅に集合すると東京駅を経由して、御茶ノ水の紅梅河岸までの市街線高架橋を観[…]
さて八ツ沢発電所関連施設は、1910年(明治43年)に東京電燈(現東京電力)が建設を始め、1914年(大正3年)に竣工した。 この重要文化財に指定された桂川沿いに約14kmに及ぶ関連施設を、先日の日曜日に実地調査に出かけ[…]
極楽荘の前を通り過ぎると、すぐに常磐線の高架が見えてくる。 常磐線の営業免許は、東京都荒川区の日暮里駅から、宮城県岩沼市の岩沼駅までの350.4kmの東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線だ。実際の列車の運行は、上野駅か[…]
佐藤病院の煉瓦塀の見学を終えると、近くの小台駅から都電に乗って、終点の三ノ輪橋へと向かう。 商店街を抜けていくと、ここら辺は江戸時代に下野黒羽藩の下屋敷のあった辺りだ。第三十一代藩主大関増裕は若年寄兼海軍奉行の要職を努め[…]
佐藤病院を後にすると都電で三ノ輪まで移動し、常磐線開通当時の第一三ノ輪架道橋と、第二三ノ輪架道橋を確認した後、千住製絨所跡へと向かった。 千住製絨所は、1879年(明治12年)に創業を開始した軍服用絨(毛織物)の官営工場[…]
あらかわ遊園を後にすると、一路徒歩で佐藤病院へと向かう。路地を抜けると、突然都電が現れる。 佐藤病院は『登山者検診』でも有名な病院で、1909年(明治42年)7月に佐藤医院が創設され、大正年間に『佐藤病院』と改称され現在[…]
前回、なぜここに煉瓦塀が残っているのか由来を話したが、その煉瓦塀沿いに進んでいく。 煉瓦は、真ん中のコンクリートの帯の下がイギリス積み、上が長手積みであるが、ある一定の間隔で小口が現れる。 裏側をのぞくと、その小口の意味[…]
今日はちょっと脱線して、煉瓦造りの建物が解体された際に記念品として保存されたものをご紹介したい。 解体された煉瓦材に、日展審査員(後に日展参与まで務めた)瀬戸団治氏の青銅製のレリーフが付けられて、置物に加工されている。 […]
都電を荒川遊園地前電停で降りると、バラの咲き乱れる遊歩道をあらかわ遊園の方へと向かう。 思わず立ち止まってバラを鑑賞したくなるような見事さだ。 芳しいバラの香りを楽しみながらしばし歩くと、懐かしい都電6000形、あだ名も[…]
東京藝術大学1号館、2号館を見学させていただいた後は、過去の取り壊した建物の煉瓦の集積所に案内されて調査した。 一部は芸大だけではなく東大で取り壊された建物の煉瓦も集積されている。一つ一つ手に取り、刻印の有無と、刻印の形[…]