煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク14 上野・荒川編7 佐藤病院
あらかわ遊園を後にすると、一路徒歩で佐藤病院へと向かう。路地を抜けると、突然都電が現れる。 佐藤病院は『登山者検診』でも有名な病院で、1909年(明治42年)7...
続きを読む煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク13 上野・荒川編6 あらかわ遊園
前回、なぜここに煉瓦塀が残っているのか由来を話したが、その煉瓦塀沿いに進んでいく。 煉瓦は、真ん中のコンクリートの帯の下がイギリス積み、上が長手積みであるが、あ...
続きを読む煉瓦研究ネットワーク東京 番外編3 国鉄長野工場の煉瓦
今日はちょっと脱線して、煉瓦造りの建物が解体された際に記念品として保存されたものをご紹介したい。 解体された煉瓦材に、日展審査員(後に日展参与まで務めた)瀬戸団...
続きを読む煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク12 上野・荒川編5
都電を荒川遊園地前電停で降りると、バラの咲き乱れる遊歩道をあらかわ遊園の方へと向かう。 思わず立ち止まってバラを鑑賞したくなるような見事さだ。 芳しいバラの香り...
続きを読む煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク11 上野・荒川編4 上野から荒川への移動
東京藝術大学1号館、2号館を見学させていただいた後は、過去の取り壊した建物の煉瓦の集積所に案内されて調査した。 一部は芸大だけではなく東大で取り壊された建物の煉...
続きを読む煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク10 上野・荒川編3
前回ご紹介させて頂いた1号館が次の写真である。 この1号館の後ろに立つ3階建ての煉瓦の建物が2号館である。 2号館は1号館に遅れること6年、1886年(明治19...
続きを読む煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク9 上野・荒川編2
東京藝術大学のキャンパスの真ん中を東西に都道452号が走っている。 1918年(大正7年)にこの都道が作られると、都道に対して南北対象に煉瓦造りの校門が作られた...
続きを読む煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク9 上野・荒川編1
5月27日日曜日、第4回目となる『煉瓦研究ネットワーク東京』のフィールドワークは、13時に上野駅公園口をスタートして、最初の目的地である東京芸術大学へと向かった...
続きを読む煉瓦研究ネットワーク東京 フィールドワーク8 八王子編8
前回ご紹介した八王子市内の小学校に残るフランス積みの煉瓦塀を見学すると、甲州街道を高尾へと向かった。 当初の予定では、さらにここから数箇所回る予定であったが、今...
続きを読む煉瓦研究ネットワーク東京 番外編2 新橋駅ホーム
先週の金曜日、葛飾から帰る途中新橋駅のホームを見ると、京浜東北線北行き、山手線内回りホームの煉瓦部分の一部を削り取っていたのが見えたので、写真に収めました。 新...
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